2015/07/06

外国語その他とりとめない話

以前W7でコンバットレベル51で他のスキルも自然にある (つまりボットアカウント臭くない) 人を誘って二人で15フロアほど Dungeoneering をやったが、「気を悪くしてほしくないが」という前置きで英語が第一言語ではないだろうと言われた。たぶん語順がおかしいためだと思う。高校までの英語の成績はさんざんで、大学へも理科三科目はほとんど満点をとれたはずなのに英語のせいで補欠入学になった。大学の英語はそこまで悪くなかったが、作文は全然できなかった。

そのうちQuakeのネット対戦を始めて最初は日本の当時一つか二つしかない鯖で遊んでいたけど、鯖主や設定が嫌いになって北米西岸の鯖でよく遊ぶようになった。誰かを煽ったり罵ったり文句垂れたり泣きごと言ったり、またクランに入って英語を共通語とする仲間と ICQ で辞書と首っ引きで話したりしているうちに作文に慣れていった。日本人とは疎遠になり、二年間ぐらい英語版のWindows 98を使っていさえした。日本語入力が必要な時は中国製の NJStar、別名「南極星中日韓」というソフトを使った。そのクランに誘ってくれたのは中国系マレーシア人で、彼は私にとってのオンラインの最良の友となり、PCのことは何でも彼に相談し、また色んな違法ダウンロードの優良サイトやソフトウェアのことを教えてもらった。その後Windows付属の IM が主流となり ICQ や AIM を圧迫し、また違うゲームを遊ぶようになるにつれ彼とは疎遠になっていったが友人関係は十年近く続いた。

後に当時のことを Hatena diaryに書いたものが次のリンク先にまだある。ウェブサイトの下書きとして書いたので上から読むようになっている。
Quake ex-keyboarder Anonymous

Quake 2 CTF で友達になった米国人でラスベガスに住む人がいた。米国人の学ぶ第一外国語としてスペイン語が断トツなこと、カーター大統領が訪米した仏大統領ジスカール・デスタンと空港かどこか公式会見場でないところで会った時、通訳がいなかったので当たり障りのない共通語としてスペイン語でしばらく二人は話したということを聞いていたので、彼に君はきっとスペイン語が話せるだろうと言ったら彼はヒスパニックだった。十歳の時に決心して以後英語を話すことに決めたそうだ。後に軍隊に志願しフィリピンの基地で勤め、フィリピン人の嫁さんをもらい、退役後はネットの株式トレーダーとして暮らしていた。

彼はあるクランを主宰していたが、あるとき突然消息を絶ったので彼のクランは離散した。何ヶ月か経ってICQに彼がログインしたのでどうしたのか尋ねたら、家が焼けて車しか持ち出せなかったそうだ。ずっと後に聞いたところによると、嫁さんが離婚を申し立て、高額報酬で弁護士を雇って多額の慰謝料や養育費の支払いを要求する訴訟を起こしたそうな。彼は弁護士は雇わず自分で関連法規を勉強しどうやら勝ったらしい。火事も嫁さんが彼を殺そうとして起こした疑いがあるそうな。くわばらくわばら。